へたくそな絵(ゴッホについて)
ゴッホの絵がどうしてこんなに多くの人の気持ちを引きつけることができるのか?と言うことを暇に任せて急に考えてみたくなりました。前にNHK日曜美術館でゴッホ展を紹介していてそれが考えるきっかけになったと言うのもあるんですがゴッホほど芸術とは何かと言う疑問を考えたくなる画家はいません。
ゴッホはもともとそんなには器用にデッサンができるほうではありませんでしたがそれでも初期は遠近法に基づいてしっかりと風景を描いています。そして最晩年になると急に形が崩れていきますがそれに伴い絵の魅力も最高点に達します。もちろんゴッホ以外でもそういう経過を辿る大家はいます。
崩れると言うよりも崩すと言うほうがいいかも知れません。つまりよく言われるところのデフォルメ(変形)にあたる訳ですがピカソやマチスなどはその典型です。変わったところでは狂気の画家と言われたスーチンなども狂気を思わせる変形を行なっています。けれどもそれらの画家の変形が意図したものであることは絵を見れば明白でゴッホとの違いはそこにあります。しかしゴッホが変形を意識していなかったかと言えばそれも定かではなく、周到に計算したもののようにも感じられるのです。そのような絵をゴッホ以外にはセザンヌしか知りません。
この絵は最晩年の糸杉の絵です。日曜美術館でも取り上げられていましたがゴッホが神父になることを諦めキリスト教を信仰する代わりに画家として自然を信仰する象徴として糸杉を好んで描くようになったと言うようなことが解説されていましたが僕がむしろ気になるのは近景の人物の小ささです。
遠近法を習得している画家であれば近景の人物はもっと大きく見えると言うことはわかっていたはずです。しかしこれが意図したデフォルメにあたるかと言われればなんだかそうは見えず感情的に気持ちのままに描いたらこうなったとも見えます。ゴッホのイメージからするとそう思ってもおかしくありません。
けれども本当のところゴッホはしっかりと狙いを持って変形を行なったと言うことは間違いないようです。だって以前にはちゃんと遠近法をもとに描いていたものがたとえ精神の異常をきたしたからと言ってその技術を失うことは考えられません。
もしも写実的に正確に近景の人物を大きく描いていたらどうなるでしょう?間違いなく人物に主題が移ることになるでしょうからそれでは信仰心の象徴として捉えたい糸杉の存在がまるで弱くなってしまいゴッホの意図とは反するものになってしまいます。
そう言う時に自分の意図を明確にさせるための方法をゴッホは浮世絵から学んだようです。浮世絵が遠近法をまったく無視していることが単なる見ると言うことの無知からくるものではなく、はっきりとしたねらいを持って自由に画面をレイアウトしていることを知ったのです。
そしてゴッホはそれを自分の絵に取り込んだ。けれどもその取り込み方がどうも不器用で不恰好なので浮世絵を真似したんだけど浮世絵の洗練されたデザイン性にはほど遠いように感じられてしまう。恐らくゴッホ自身も満足はしていなかったでしょう。
ゴッホはつねに絵に新しいものを取り入れる実験を行なっていたことはよく知られていてこの絵もその中の一環で描かれたものと考えれば絵が洗練されているほうがおかしい訳であってゴッホにとって絵を描くことはつねに何らかの過程に過ぎなかったのだろうと思われるのです。
ピカソとマチスも同様に美の求道者であった訳ですがゴッホがつねに満足したものができなかったのに比べて彼らはそれぞれの時期に洗練されたものを作りあげた上で次の様式に進んでいったと言うところでゴッホとは一線を画していると思います。その意味でセザンヌがゴッホと似た制作態度を持つと思います。
で、僕がもっとも気になるのはゴッホがその自分の絵の洗練されていない粗野な感じをどう思っていたかなんです。そこで見てもらいたいのがこのゴッホの絵なんですが、この絵についてゴッホは書簡の中で弱いと書いていたそうです。
それに対して次に揚げる同じ時期に描かれた風景は強度があると書き送ったそうです。つまりこの二枚を比べると最初の絵のほうが印象派的に空気と光を写実的に捉えていて、次の絵のほうが平板で稚拙な感じがするにも拘らず強さがあると評価していることになるのです。
ここでわかるのはゴッホは洗練された上手さよりも絵には強度のほうが重要であり、強度を増すには稚拙さもまた一つの武器になると言うことをうすうす感じていたと言うことです。実はこの部分こそが僕が芸術のもっとも神秘的な謎めいたところだと思うところでその謎を知りたくて仕様がないのです。
ゴッホから少しそれますが、そのことを如実に表している絵を一枚あげるとしたら、真っ先に岸田劉生の麗子像をあげます。麗子像はご存知のように何枚も描かれていますが、実は最初はもっと写実的に描かれていました。そしてだんだんとご存知のようなあの妙な顔立ちになっていきます。
もしも麗子像がその最初の写実的な顔で終わっていたとしたらこれ程世間に知られてはなかったのは間違いないはずですから、そこには単純に美の謎が秘められているように思います。なぜ劉生はそういう顔立ちにしたくなったのか?その時の気持ちを劉生自身が語った言葉が残っていて、
それは「当意即妙」と言う言葉で残されています。もしも計画通りに事を運んでいたとしてもその時々瞬間的に閃いた感覚があればそれを優先せよと言う意味らしいのですが、そこにこそ芸術の真髄が隠されてるような気がしてなりません。