ART ESSAYS


 写実絵画における光の考察

「ルシアン・フロイドとエリック・フィッシェルについて」

 

ルシアン・フロイド

 

エリック・フィッシェル

 ルシアン・フロイドとエリック・フィッシェルは写実絵画における現代のもっとも重要な画家です。現代人の有様を卓越した描写力であぶりだしていく表現で、彼らの作品は他の画家の追従を許しません。けれども二人の作風を調べていると写実の中に隠された決定的な相違を見つけることができます。 

それは光の扱い方の違いによります。作品の登場人物に対してどのくらいの強さの光をあてるかが、それぞれ決まっていて、その光の量の違いによって、両者の絵には似て非なる意味合いを生み出しているのです。それは二人の作品作りの根本に関わる問題に思われます。

 エリック・フィッシェルの場合、光は主に強い直接光を人物にあてます。そこで人物には明確な光と影のコントラストが与えられることになります。一方、ルシアン・フロイドはそれよりも柔らかく弱い、言わば間接光を人物に投げかけます。そこでフィッシェルのようなコントラストは抑制され、明暗の微妙な変化によって、人物は形を見つけだします。ここで重要なことは、彼らの技法自体ではなく、なぜ、そのような光の取り入れ方を各々、行ったのかと言うところにありますが、それこそが彼らの絵の本質に深く関わってくることになろうかと思います。

 では、直接光と間接光ではそこに晒される人物に、どのようなニュアンスの違いを生み出すのでしょう?

直接光を与えた場面では、人は光をより強く印象づけられますが、そもそも光というのは時間とともにつねに移りゆくものであることを私たちは経験上知っていますから、光を強く絵から感じることで、一瞬間を切り取ったような何か刹那的な時間を感じずにはおれない、さらに飛躍すれば、永遠の時間というものを含んだ上でのその一瞬間でしかないというむなしさのような意味合いをその絵の登場人物に投げかけるかのようになる訳です。それがアメリカ社会の暗部を悲劇的に捉えようとするフィッシェルの思惑にとって、まさに適合する光であったことは容易に想像できます。一方で、直接光は人物を光と影の二色に色面分割するので、人物の表層的なところまでしか追求できず、立体感を表すにはマイナスの要因になります。それはフロイトの目的にとって都合の良いものではありませんでした。フロイトの描く人物には肉付けが必要でした。彼は西洋絵画の伝統に乗っ取って人物それ自体に尊厳を与えようとしました。それにはやわらかな間接光が最適でした。その光は肉体に微妙な陰影を刻み、量感を露わにするのです。彼の描く人物はけっして美しいものではなく、むしろ人間の醜さを誇張したものが多くありますが、にも関わらず彼の優れた写実力によって実在感を獲得した画中の人物には、ある種の尊厳さえ感じずにはおれないのです。

 それにしても二人の画家の表現するべき目的が、ちょっとした光の取り入れ方の違いによって生み出されているというのが、とても興味を惹かれるところであろうと思われますし、写実というものが単なるものをそっくりに写すだけのものではなく、実に多様なニュアンスをもっているのだということを考えさせられます。私たちはいまだに写実を追及するべきでしょう!